残酷なまでの強制労働 蟹工船・党生活者 レビュー [本 レビュー]
本日紹介する本は「蟹工船・党生活者」です。
映画化もされ、かなり有名な作品で、日本のプロレタリア文学を代表する作品でもあります。作家の小林多喜二さんは、母親思いのとてもすばらしい人格の持ち主でしたが、この小説を書いて警察に拷問され、殺されました。かわいそうで仕方ありません。強制的に働かせる時代、少しの反抗も許されなかったのでしょう・・・。
蟹工船は、強制的に働かされ、人権を無視され、命を命として認められていない労働者達の様子が描かれております。労働者達はもはやウジ虫扱い。死ぬまで働かせる。死ねば少しの慈悲もなしに死体を海に捨てる。これが実話だと言うのですから驚きです。読むこちらが痛くなるほどの衝撃を受けます。
人間は上に立ち、人を雇えば神様にでもなったつもりになるのでしょうか。労働者のおかげで商売が成り立っているというのに、その人権を無視する姿勢。本来なら大切に扱うべき労働者たちをあまりに残酷な形で働かせる。
利益さえ生まれれば、労働者の一人や二人死んでも構わない、搾取できる分には徹底的に搾取してやる!そういう残酷な表情が、腹立たしいほど露骨にブルジョア階級から窺えました。
ありえません。非人間的で非倫理的。労働者達は、船上であるために逃げ場がなく。経営者はコスト削減の為に劣悪な状況で労働者を酷使、管理職は自分の立場を守るために成績を上げなくてはならない。そのために人権をも認めない。
こういう厳しい時代があったことを、我々はもっと知っておくべきだと思いました。
こちらの本、クセのある文体で、おまけに難しいので勇気を出して買ってください(笑)内容もグロテスクですし。
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思考の整理学と奇跡の教室から。学校側が頑張りすぎることによる勉強意欲の減衰。 [本 レビュー]
本日紹介する本は
「思考の整理学」と
「奇跡の教室」です。前にも紹介したことがあったような気がしますがもう一度改めて。
いっしょに紹介する理由は、学校における教え方の問題点に関する記述がどちらも類似しているためです。
憤慨していることはどちらも同じで、例えば、今の学校は先生がなんでもかんでも親切に教えすぎて生徒に考えさせる隙すら与えていないということが、とくに思考の整理学では強く書かれていました。論語読みの論語しらず、つまり知識はあっても自力では行動ができない生徒が多いのだと。
例えば、教科書を読むだけの授業。(私の経験上非常に多くある。コアでも。)先生が読むにしても、先生が生徒に読ませるにしても押しつけ感が強い上に、考えることがなにもない。ただ流すだけの単調作業でなにも印象づけられないどころか、その教科に対して嫌悪を抱くほど。
昔の塾や道場というのは、すぐに教えるようなことはせず、むしろ教えるのを拒んで、例えば、剣の修行をしたいと思っている若者に薪割りや水くみをさせたりしていたらしいのです。当然、不満を抱きます。これが学習意欲を高めるために非常に効果的であることを、昔の教育者は心得ていたらしく。あえて教え惜しみをするのだそうで。それによって早く知りたい!という気持ちが強くなる。
考えてみると、確かにその通りです。聞くだけの授業はそもそも興味がわきません。だから眠くなる人が続出するのです。一人や二人寝ているのは、生徒の責任ですが、多数が眠くなる授業は、確実に教える側に責任があります。
つまらない映画のそれと同じで、見ていると眠くなる。見終わっても何も残らない。時間の無駄。こういう経験を誰もが一度はされたはず。
『奇跡の教室』はまさに奇跡。教えるのではなく、考えさせる。興味と知識欲を最大限まで湧かせる。200ページ?ほどしかない短い小説「銀の匙」だけで3年間も国語を教えたこの先生には感動です。
以下本文から抜粋
『なんとなくわかったで済まさない。』
『個性を大事に。その先に議論がある。』
『時間と手間をかけてじっくりと育てていけば、個性豊かな実りになる。』
『一人の職人による原酒は、作り手以外、だれの味見も、検査もなく、水や氷で割られることもなく、直接飲み手に供されるのである。』
手間と時間をたっぷりかけることこそ、一番の贅沢な教育であると確信しました。国語がすべての学問の基礎になることは忘れたくありません。
昭和の傑作「氷点」の魅力 三浦綾子 [本 レビュー]
こちらの本、読書の楽しみを一番最初に教えてくれた本でもあります。この本によって読書にハマりました。以来、著者の三浦綾子さんのファンになり、数十冊と読んできましたがどれもすばらしいです。希望を与えてくれます。生き方を考えさせられます。これから紹介していく本も三浦さんの著作が多くなるかも?
「氷点」はいわずもがな、昭和の大ベストセラーです。昭和生まれでご存じない方はいないはず?あの1千万円懸賞小説入賞作品で、著者の処女作でもあります。著者は旭川の方で、本の舞台も旭川。私はこの小説の舞台である、旭川の「見本林」には幾度も訪れております。そこには三浦綾子記念文学館もありますので是非。
さて、本の内容としては、かなりドロドロとしております。一歩踏み外せば昼ドラになりかねません。「この泥棒猫!」という台詞が出てきそうな感じ。そして、登場人物の設定が極端で、現実的ではない部分もあります。
通常であれば、こんな設定であれば単なる”大衆文学”で片付けられ、年月とともに風化して忘れられるのが普通です。ではなぜこの本が出版後年月が経っても読み継がれているのか。なぜ単なる大衆文学で終わらないのか。
私は考えます。著者の小説に込められた想いが確実に読者に伝わっているからだと。作者の必死な信仰を通しての想いは、「氷点」に限らず、どの著作からでも感じ取れます。読者を強くひきこむ文章は、単に文章力のみでは成り立ちません。この”想い”があってこその文章だと思うのです。
「氷点」には『原罪』というテーマが込められております。原罪とは生まれながらに持つ罪のことを言います。生まれてきたことに対する罪悪感を主人公は感じるのです。それも残酷な形で。
『原罪』を如実に表現するために、主人公は極端に設定されております。
「清廉潔白で非の打ち所のない少女」
そして母のこの上ない憎しみ。
この対比で実に巧妙に『原罪』が表現されているわけです。ネタバレはしたくないのであまり突っ込みませんが、とにかく一言一言に重みがあります。
復讐 憎しみ 罪 とちょっとドロドロしていますが、いろいろと考えさせられる作品です。ページをめくる手も止まらないことでしょう。
私の中で決して忘れることの出来ないこの傑作を一人でも多くの方に読んでいただきたく紹介いたしました。
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野良犬トビーの愛すべき転生 全米が泣いた!ベストセラー [本 レビュー]
「兄弟姉妹に囲まれ、野良犬としてこの世に生を受けた僕。驚くことに生まれ変わり、少年イーサンの家に引き取られ、ベイリーと名づけられる。イーサンと喜びも悲しみも分かち合って成長した僕は、歳を取り幸福な生涯を閉じる。ところが、目覚めると、今度はメスのエリーになっていた! 警察犬として厳しい訓練を受け、遭難した少年の救助に命がけで向かうが……。全米ベストセラー。」
すばらしい一冊でした。その名の通り、犬が生まれ変わるお話。犬の一人称です。以下ネタバレのなるべくないように書きます。
野良犬のトビーが3回生まれ変わって、自分の生きる目的を探っていくお話。犬の一人称でとてもおもしろい内容でした。そしてその描写される犬の気持ちが恐ろしいほどリアル過ぎて、自分の愛犬に対する意識が変わるほどでした。
犬は敏感に飼い主からの愛を感じ取るもの。愛がなければ悲しむし、酷く孤独を味わう。あれば飼い主を喜ばせながら自分も喜んで幸せな気持ちになれる。そしてその記憶が消えることはない。たとえ生まれ変わっても。
現代は自分の犬を捨てるような勝手な飼い主も存在します。それはおかしいほど自己中心的で冷酷な人間で、愛のかけらも持ち得ない人間でしょう。本書でもちょっとそういう場面が登場しましたが、このことで愛犬に対してもっと愛情を注いであげねば、と強く思ったのでした。
今飼っている自分の愛犬に対する”愛”。深く考えさせれれました。この本で登場する犬が感じ取ったように自分の愛犬も愛を感じ取ってほしい。そして去年死んだ愛犬にもそれが伝わっていたらいいな、と思いました。
本書の感動を無駄にしないためにも、これから積極的にかわいがってあげたくおもいます。
病めるときも レビュー [本 レビュー]
思考の整理学でおなじみ外山教授の「日本語の作法」 [本 レビュー]
『日本語の作法』
乱れた敬語を著者は嘆いています。とくに、目から鱗が落ちたのが、「ください」の使い方。
くださいというのはそもそも命令形であって、目上の人には使えない。対等の間柄でも強すぎることがあるらしい。
例えば車内アナウンス
「足下があぶのうございます。」「ご注意ねがいます。」が本来あるべき敬語の姿らしい。
確かに、「お乗り換えください」と言われるより、「お乗り換えです」といった方が柔らかくスッキリしています。
「お待ちください」より「お待ちいただけますか」のほうが落ち着きます。
現代は柔らかい言い回しが好まれるようで。日本語的にも、礼儀的にも、大切なことだと思いました。
ご覧の通りなかなか興味深い内容です。他にも一つ紹介しましょう。例えば、病院で患者のことを、「患者様」と呼ぶことが増えてきていること。これについて述べられています。
そもそも一般の名詞に様をつけること自体、日本語としておかしく(人の名前は例外)、もしどうしてもつけたいのであれば、”お”か”ご”をつける必要がある。
例えばお客様であったり、ご依頼人様であったり・・・でも、お患者様とかご患者様じゃ具合が悪い。
このように、普段、無意識に使ってしまっている、日本語の誤りを、この本では実にわかりやすく説明・指摘してくれています。まさに目からウロコです。オススメ!
やっと手に入れた!「文章読本」 丸谷才一著 [本 レビュー]
実習で文庫の品出しをしていて、ふと見つけた御本。丸谷才一著「文章読本」前から欲しかったもので、谷崎と三島のそれは読んだのだが、丸谷才一のは未読だった。そこで早速昼休みに購入、10ページほど読んでみた。やはり、さすが谷崎の「文章讀本」は傑作中の傑作で、これに勝るものはないらしく、丸谷才一も絶賛している。
「これは格段に力のこもつた傑作なのである。」
「名人藝の講義である。」
「彼をしのぐ者は、学者のなかにすら極めてすくなかつたとわたしは思ふ。」
「『文章讀本』は依然として偉大である」
「彼ほどの大才、彼ほどの教養と思考力の持ち主が、初学案内の書にときとして浅見と謬想とを書きつけざるを得ないくらゐ切迫した状況で現代日本語といふ課題に全面的に立ち向かつたこと、その壮大な悲劇性こそ『文章讀本』の威厳と魅惑の最大の理由であった。」
だが、絶賛しつつも批判しているようすがまたおもしろく、
「さういふ彼でさへ奇妙な思ひ違ひをしてしまふくらゐ、現代日本語で文章を書くといふことについて論ずるのはむづかしい。」
「谷崎の最大のあやまちは、眼目である第二章「文章の上達法」の劈頭に見ることができる。『文法的に正確なのが、必ずしも名文ではない、だから、文法には囚はれるな』と彼はまづ強調するのだが、不思議なことに彼の言ふ文法とは国文法、すなはち日本語の文法のことではない。」
まだまだ途中だが、なかなかおもしろそうな内容を含んだ本だと思う。谷崎の文章讀本は大分昔に読み、感動・共感し、かなりの勉強になった。丸谷才一の言うとおり傑作の一言に尽きた。この本の右に出るものは絶対にナイと信じて疑わないが、丸谷の客観的批判が気に入ったので、ジックリ読みたい。
ちなみに丸谷才一も述べてい、私もそう思うこと。三島由紀夫の『文章読本』はイマイチ。物足りないというか、何も残らなかった。
外山滋比古 思考の整理学 東大・京大で1番売れた本!!! [本 レビュー]
本書は学校教育の問題点について述べています。
本文の問題提起の部分を自分の感想を交えて要約してみました。
今の学校は何でもかんでも親切すぎて、教えることに熱心すぎて、逆に教わる側が口を開けていれば欲しいモノを与えてくれるという、受け身の姿勢になっているんだと思います。はじめから、意味を押しつけてしまって、好奇心を働かせる前に教えてしまっている。
昔の漢文の授業なんかは、意味を教えなかったらしいです。わざと素読だけさせて、チンプンカンプンにさせる。生徒に早く意味をわかるようになりたい、と思う心を募らせる。教えないことが却って良い教育になっている例であります。
学校では先生に従順であることが尊重されて、少しでも外れた者がいたら、問題有りとチェックされ、とにもかくにも、教科書と先生にだけ引っ張られて、独力で学ぶことは全く無いのです。知識だけたっぷりあって実践の出来ない、論語読みの論語知らずだらけにさせているのも、学校教育が親切丁寧積極的でありすぎる弊害なのであります。
学校というのが手取り足取り、至れり尽くせりのお世話をしすぎて、逆に生徒のやる気を喪失させている問題。 結果つまらない授業で終わってしまうのです。この問題についてどのように思考を整理し、どのような姿勢で臨んでいけばいいのか、本書では書かれています。
「メモを取ったという安心感が却って忘却を促進させる。」
メモを取れ取れとひたすら学校で言われていますが、この言葉は 痛快でした。おすすめの本です!!
安部公房 未発表作品 「天使」 [本 レビュー]
安部公房氏の未発表作品が札幌の実弟宅で見つかったそうです。
なぜいまさらでてくるんだ・・・というのが正直な感想ですが。それに、弟が札幌に住んでいると言うこと、こちらの方が衝撃でした(笑)
安部公房の作品については、「壁」とか、「砂の女」等をいろいろと読んで来ましたが、大好きです。天使も書籍化されれば読んでみたいものです。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/121107/art12110714150005-n1.htm