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人の失敗を笑うべし!不道徳という名の道徳。不道徳教育講座 [本 レビュー]

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本の紹介です。今回は三島由紀夫!

 三島由紀夫といえば堅苦しい小説で有名ですが、(例えば金閣寺・仮面の告白・・・など)。氏は純文学に限らず、大衆文学に至るまで、多様なジャンルに挑戦してきた作家であります。むろん、エッセイも数多く遺しており、その内容も実に秀逸です。本書は堅苦しさとは一変、非常に読みやすい文体で、説話的手法を用いているため、より著者に接近した形でわかりやすく読むことができるのであります。

 前置きが長くなっては読者様に逃げられてしまいますので、まず目次を紹介することにしましょう。コチコチ頭の学校の先生とかに見られると怒られそうな内容です(笑)

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  なかなか興味深く思われた方もいらっしゃるかも知れません。 本当に痛快です。太宰治や石原慎太郎を平気で名前を出してディスってるあたりも、三島由紀夫らしい!

 特におもしろかったのが、いろいろありますが・・・人の失敗を笑うべしなどは、笑い転げました。公約を履行するなかれ、は今の政治家達に読ませてやりたい内容であります。タイトルこそ不道徳極まり御座いませんが、よくよく読んでみますと、さすが、巧みな逆説を用い、結果”道徳”へとつなげております。この辺りは読んでいて楽しいですね。頭も使います。

 では、人の失敗を笑うべし から。 

 これに関してはまず、三島自身の体験談から書かれています。

「路ばたの銀色のクサリをスマートに飛び越そうとして、無念や、足がクサリに引っかかり、スッテンコロリと転倒したことがあります。そのとき、忽ち身を起こして、そしらぬ顔をして歩き出した私の、復原力の速さは見ものであって、およそその間、百分の一秒ほどであったでしょう」

この時点で楽しげです。どういう風に話が進むのか、読者はワクワクします。

三島は自分の体面になんぞ構うべきではない。体面を気にするのは人生に対する愚か者だ、と一蹴。人の失敗を笑う人間の顔こそ、最も人間らしい、愛すべき笑い顔なのだそうだ。

「どんな功利主義者も、策謀家も、自分に何の利害関係もない他人の失敗を笑う瞬間には、ひどく無邪気になり、純真になります。誰でも人の好さが丸出しになり、目は子供っぽい光に充たされます。気取り屋の男が、スッテンコロリと転倒する風景は誰でもが只で見物できるお祭りです。実際他人の失敗というものは、人生の大きな慰め、愉快なお祭りであります。ナゼ私は、人々にとってのその折角のお祭りを、僅か百分の一秒で終わらせるような意地悪をしたのでしょう。愉快なお祭りは、少しでも永く続くべきなのだ。」

なるほど、そう言われてみれば確かにそうだ。普段意識せずとも、こうして人の失敗で我々は人生に花を咲かせているのですね。 

 「 あんまり良く磨かれた硝子窓に、硝子がないものと思って、頭をぶっつける男を見ることは、何という愉しさでしょう。

 ヒゲソリクリームを塗るつもりで、一生懸命、ほっぺたにライオン歯磨を塗っている男を見ることは、なんと愉快でしょう

 芝居に夢中になって、膝の上のノリマキ弁当を、みんな床にころがしてしまうお婆さんを見ることは、なんとステキでしょう

 自動販売機にチャンと故障と書いてあるのに気づかず、いくつも十円玉をギセイにして、頭から湯気を立てているおじさんを見ることはなんて嬉しいんでしょう 」

 

「こういうことがなかったら、人生はどんなに退屈か、よく考えてみる必要があります。それなら、ふとした失敗で、人の退屈を救うと言うことほど、人生に対する大きな寄与はないのであって、しかもしれによって、われわれは沢山の人間の、純真な、無邪気な、美しい笑顔を見ることが出来るのであります。」 

 

論理はまず、失敗の具体例をあげ、読者を笑わせることから始めるのです。そのあと、見事な展開で、三島はこの不道徳を、逆説によって道徳へ変換させるのであります。

「ソ連だの、中共だのという国は、妙に可愛げがない。それは彼らのお題目が、みんな人類全体のつながりを強調するやり方で、それについて自分の方はなにも支払わないからです。これらの国が、もっと人の目の見えるところで滑稽な失敗を演じたら、どんなに愛されるか知れないのに、ソ連も中共も、未だかつて失敗したことのないような顔をしています。毛沢東氏が、忽然ニューヨークにあらわれて、地下鉄の中で、ズボンのお尻に大きな穴が開いているのも知らずにいたら、どんなに世界平和に寄与することでありましょう。 戦時中の女性でアメリカの俘虜を見て、「お可愛そうに!」と言ったので問題を起こした事件があったが、私はこういう、嘲笑を欠いたセンチメンタルな同情と、好戦主義とは紙一重だと思います。嘲ることができないので、人は戦うのです。嘲られていちいち決闘していた西洋中世の武士達はやっぱり、野蛮人の一種であったと思われる。」 

 

 

 次に公約を履行するなかれ

これこそ、日本の舌先三寸の政治家どもに読ませてやりたい”不道徳”であります。あまりに痛快すぎて、三島由紀夫を崇拝してしまうほどでした。

「多少とも実現可能な具体的な公約をかかげているのは、多少とも当選圏内にある候補であって、当選の可能性が遠のくほど、公約も空想的夢幻的神秘的になって行きます。これは人間の心理としても当然なことでしょうが、政治と理想主義との昔ながらの反比例の関係が、こんな所にも良く現れています。
 しかし、我々が一等ごまかされやすいのは、一見現実的、一見具体的、一見実現可能にみえるような公約です。「明日君に一千万円あげるよ」と言えば、誰も信じないが、「明日君に三千円あげる」と言えば、つい信じてしまうようなものである。結局もらわない点では、一千万円も三千円も同じなのですが。 何の選挙でも、一千万円の約束より三千円の約束の方が安心だと思って投票すると、その三千円ももらえないでバカを見るのである。
 そこで私は提案するのだが、「公約は一切履行せず」とはじめからおとこらしくスッパリ宣言する候補は出ないものだろうか。これは餌をつけずに魚を釣るやり方で、よほど自信がないとできません。しかし、こういうやり方が一般化すれば、「公約不履行」でブツブツ言われる恐れもないし、選挙される方も、する方も、気が楽なのである。これだけの人間的信頼を寄せられたら、それだけで政治家としては百点満点です。

 ただ、本の内容を引用してるだけになってしまっていますが、これだけは伝えたかったのです。そして、もっとも共感したのです。政治家に限らず、我々の日常でも同じようなことは度々あるのではないでしょうか。 就職の面接だとかで、我々は立派な公約を掲げます。進学にしてもバイトにしても、口だけは立派です。だが、そんなこと、一年もすればスッカリサッパリ忘れてしまう。人間というものに、公約を守れる者など一人も存在しない、ということを語っているのです。なるほど、公約を履行せず、と言う公約は男らしいし、勇気もあります。

  こんな感じで紹介してきたが、各項目ごと、痛快さとユーモアを混じらせながら、不道徳によって道徳へと導いてくれるのです。画像の、本が汚いのも、私が本書を座右の書として、愛読しているからであります。結局は道徳ですから、日々の暮らしでも役に立つことばかり。興味を持たれた方、是非!!!

 

不道徳教育講座 (角川文庫)

不道徳教育講座 (角川文庫)

  • 作者: 三島 由紀夫
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1967/11
  • メディア: 文庫

 


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